真言宗  多宝山  金剛乗院 智山派
慈眼寺

雨乞いの竜        

日光街道(国道四号線)沿いに真言宗の名刹、多宝山慈眼寺がある。

歴史は古く建久七(1197)年新田義兼公(新田家二代目当主)によって建立され、当時より七同伽藍のある談林寺(僧侶の修業道場)として多くの名僧を輩出している。

また、江戸時代に日光東照宮が建立されたからは、歴代徳川将軍家の日光社参の折の御昼食所に定められ徳川将軍家との関係も大いに深まり、将軍家拝領の寺宝もたくさん残っている。その一つに、東照宮の眠り猫で有名な名工、左甚五郎作「雨乞いの竜」がある。

これには、一つのお話があるので紹介しよう。

江戸時代の中期、その年は日照りが続き、田畑は乾燥しきり農作物も収穫が難しい状態でした。そこで村の衆が庄屋さんの家に集まり相談することになりました。

最初に五助が「このままでは作物も全滅してしまう、家族全員飢え死にだ」それを聞いて茂吉も「庄屋さん、何か良い方法はないかね」庄屋さんも暗い面持ちで「こうなったら神仏に頼るしかなかろう。幸いにも慈眼寺には霊験あらたかな雨乞いの竜が祀られている。早速住職様にお願いしてみよう。」

そこで慈眼寺の住職にお願いすると、「村の衆が困っているのだから早速雨乞いの祈祷を始めましょう」と快く引き受けてくれました。

境内に祭壇を設け、大きなタライに水を入れ雨乞いの竜を浮かべ弟子たちと一緒に祈祷を始めました。

一生懸命祈祷は続けられましたが、空に雲一つ無く住職はじめ村の衆も諦めかけた時、タライの水が波立ったと同時に竜が空に向かって飛び立って行きました。すると空に真黒な宰が沸いて来たかと思うや、雷鳴と共に雨が降って来ました。その雨で農作物も助かり村の衆は大いに喜びました。

しかし、飛んでいった竜は戻ってはきませんでした。

最初、雌雄二体あった雨乞いの竜も、今は雌竜だけが寺宝として大切に祀られています。